久々にバイクに乗った。
排気量1600ccの奢侈な一品。
クルーズコントロールにオーディオが付いた車体価格300万越え…(汗)
サラリーマンにはローンでしか買えない。
若いとき世の中の恐ろしさを何も知らないでローンで買いましたさ(笑)
ローンの恐ろしさに気づきなんとか繰り上げて完済してますが。
怖いね。
世の中って。
でもこんなの買うなんてやはり変態なのだ。
周囲との差異なのだ。
と自分を慰めている。
夏空がどこまでも広がっていて空の青さがとても濃い。
外気温が35度を超えてどこもかしこも猛暑の嵐だ。
バイクに乗って川沿いを走ってみると暑さの中にふと心地よい風が流れていく。
いつの時代もどんな時も何だかんだと騒いでいるのは人間だけだ。
自然はすべてを織り込んでただ悠久の時を刻んでいく。
来ては流れそして過ぎ去っていく。
自分も愛車のバイクも目の前に写る景色も時とともに移ろい…。
やがては消えていく。
目の前の光景や人々…100年後はすべて幻になっていき、ほんの一部だけが後世に継がれて残っていく。
文化、思想、技術、偉業、英知…
僕は何を受け継ぎ…そして引き継いで次へバトンしていくのだろうか?
「何が君の幸せ?何をして喜ぶ?わからないまま終わる?そんなのは嫌だ」
アンパンマンのテーマが最近心に刺さる。
何が君の幸せ?何をして喜ぶ?
そうだな。
小さいころからなぜかグラフが好きで、相場のことを知り、遊ぶ金欲しさと、ありとあらゆる自由ほしさのために相場に手を出しました。
んで相場で儲かったお金を家族に使うと家族が喜ぶ。
それが僕の喜びでもあり幸せなのかもしれない。
まあ、それ以外にも、お金があれば自由と選択肢が増えるからね。
あと他人の時間。
例:小遣いあげるからこの品物買ってきてとかね(笑)
いろいろな制約もなくなるしね。
所詮お金は人間の幻想で作用するものです。
ですがお金があれば自由という考え方も何か束縛されている強迫観念のような気もしますが(笑)
サラリーマンという立場で安定を得ながら勝負するには自分には株しかないと思った。
自由への一縷の望みであり、希望と絶望のはざまでやっております。
相場ってすべてを織り込んでいて自然と同じ気がする。
時には大荒れになったり、恵みをもたらしたり。
そうそう。
利食いって妙な感覚がある。
ここいらでいいやって言う自分とまだまだ利幅がでるかもしれんからマテという自分。
利食いするとさらに下がって取り損なうって思うのかね。
変動感覚がないからこのくらいの幅で取るっていう確証がないから、そういう下らん欲に支配されるのかも。
この時点でまだ当てもの売買だと反省。
場帳で取引を始めて時間軸を見ながら試しで年初来安値や、月安値を買いながら、年初来高値、月高値を売る。
少し曲がったら1-か、-1と乗せてみる。利益になったら蓋をする。
というのを場帳を見ながらやっていますが…。
不思議なことにそれを意識して売買していると損してない。
それどころか、3月のやわらか銀行の踏み上げの損失解消までもう少しまで迫っている。
グラフは月足と折れ線をほんの少しずつだが書いている。
こつこつやらんと意味がないが。
なんだろうか。
月足の陰陽のパターンみたいなのを感じる。
場帳を書いているときとは違った感じがある。
まだ、もやもや「感じ」だけとか…。
うん。
もっともっと時間をかけて道具作成をして感覚を研ぎ澄まさないと…。
要するに。
修行が足らん!!